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山形地方裁判所 昭和36年(ワ)101号 判決

原告 菅原一

被告 池田幸子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「債権者訴外亡菅原弥五郎、債務者被告間の宮城控訴院昭和八年(ネ)第二〇六号不動産引渡登記抹消請求控訴事件において昭和一一年五月一八日に成立した和解調書による債務名義について山形地方裁判所書記官は被告池田幸子に対し強制執行のため訴外亡弥五郎の承継人原告菅原一に執行文を付与すべきことを命ずる。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

一、訴外亡菅原弥五郎は被告に対し宮城控訴院昭和八年(ネ)第二〇六号不動産引渡登記抹消請求控訴事件において昭和一一年五月八日に成立した裁判上の和解の和解調書による債務名義を有していた。

二、訴外弥五郎は昭和一二年七月四日死亡したので、原告は家督相続により右和解調書による債務名義を承継した。

三、ところで右債務名義に基づく執行は原告において右和解調書掲記の不動産等(以下単に本件物件と略称する。)の譲渡代金として金三一、五〇〇円を昭和一一年一〇月三一日まで被告に支払うことの条件にかかつていたところ、原告は期限の猶予を得たうえ昭和一四年八月二一日右代金三一、五〇〇円に金三、五〇〇円を加え合計金三五、〇〇〇円を訴外五十嵐三郎右エ門に託して当時被告の法定代理人であつた親権者父訴外池田一太郎に支払い、右条件にかかる原告の反対給付義務を履行した。

四、仮りに右反対給付義務履行の主張が理由がないとしても、原告は昭和三六年四月二二日改めて被告のため右代金三一、五〇〇円を山形地方法務局鶴岡支局(昭和三六年金第五号)に弁済供託したので、右反対給付義務を履行したというべきである。

五、しかるに、被告は右和解調書に基づく債務を履行しないので、原告は強制執行をするため昭和三六年一月二〇日山形地方裁判所書記官に対し承継執行文の付与を申立てたところ、同書記官は同年四月三日裁判官の命令を得られないとの理由で右申立を却下した。よつて、右債務名義について被告に対し強制執行をするため承継人である原告のため承継執行文の付与を求めるため本訴請求に及んだ。

と述べ、被告の抗弁事実を否認し、更に、

六、原告は前記日時に代金を支払つた後も被告および被告の父訴外一太郎に対し本件債務の履行を求めていたので権利の行使を放置したことはなく、殊に本件物件のうち大黒屋旅館の土地建物については被告のため右一太郎の母訴外亡池田久恵が死亡するまでその明渡を猶予したばかりでなく右久恵の死亡後昭和三二年四月頃右一太郎は原告に対し右大黒屋旅館の明渡しを約しており、また本件物件のうち湯野浜字笹立一二四番畑一九歩と同字五一番の七一宅地六六坪についてはすでに原告においてそれぞれ引渡を受け、一部履行ずみでさえある。従つて、原告の本訴請求が権利の濫用に当るいわれはない。

七、原告の本訴請求権は民法第一七四条の二第一項に規定する権利ではなく、被告に対し意思表示義務の執行をする前提として承継執行文の付与を求めるものであるから民事訴訟法第七三六条後段に規定する権利であるというべく、本件和解調書に執行力ある正本の付与があつたときから消滅時効が進行するものというべきである。

と述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「原告主張の請求原因事実中、原告主張の和解が成立したことおよび原告がその主張のような供託をしたことは認める。被告が原告のため期限を猶予したことおよび原告がその主張の頃金三五、〇〇〇円を被告に支払つたことは否認する。その余の事実は知らない。」

と述べ、抗弁として、

(一)  本件和解契約は、原告先代訴外亡弥五郎が被告に対し本件物件の譲渡代金三一、五〇〇円を昭和一一年一〇月三一日までに支払うことおよび右期日までに支払のないときは和解契約は失効することの約定であつたところ、同訴外人は右約定期日までに右代金を支払わなかつたので右和解契約は失効した。

(二)  仮りに右和解契約が右約定期日の経過により直ちに失効する約でなかつたとしても、本件和解調書に基づく原告の被告に対する請求権は民法第一七四条の二第一項の規定により一〇年の消滅時効で消滅するものというべきであるから、右請求権は昭和一一年一一月一日から起算して一〇年を経過した昭和二一年一〇月三一日の経過により消滅時効が完成したので消滅しており、被告は本訴において右時効を授用する。

(三)  更に、原告は二五年もの長期間本件請求権の行使を放置しておきながら今日におよんでこれを行使することは信義誠実の原則に反し、権利の濫用である。けだし、本件のように権利の行使を長期間放置しておれば、権利は自壊作用によつて消滅したとみるべきだからである。

と述べた。〈立証省略〉

理由

一、思うに、執行文付与の訴は民事訴訟法第五一八条第二項または第五一九条第一項によつて必要な証明をなし得ない場合においてこれを提起すべきものであるから、その請求の原因は(一)債務名義の存することと(二)執行文の付与が同法第五一八条第二項または第五一九条第一項の場合に該当するところ証明書によつては当該要件を証明することはできないが他の方法によつてこれを証明することができることであると解することができるが、右の訴は結局債務名義に基づく請求権がなお存続しその執行をなす必要があることを前提とするものであるから当該請求権がすでに消滅していることが明白である場合には執行文の付与をなし得ないものというべきであるので、右の訴において債務者である被告は単に訴の原因である条件の成就または承継の有無等に関する抗弁のみを提出し得るにすぎないものと解すべきではなく、更に実体上の請求権の存否に関する抗弁をも提出できるものと解するのが相当である。けだし、受訴裁判所が判決手続によつて執行力の存否を確定すべき場合においてはもはや執行力の存在に関する形式的事由とその実体的事由とを厳格に区別しなければならない必要はなく、実際上も訴訟経済に合致し合目的的であるからである。

二、ところで、債権者訴外亡菅原弥五郎と債務者被告との間の宮城控訴院昭和八年(ネ)第二〇六号不動産引渡登記抹消請求控訴事件において昭和一一年五月一八日右両者間に裁判上の和解が成立したことは当事者間に争がなく、同日その旨の和解調書が作成されたことは弁論の全趣旨から明らかである。そして、成立に争のない甲第五号証の一(和解調書正本)によれば、右和解調書には和解条件として、

一、被控訴人(当審被告。以下同じ。)は控訴人(訴外亡菅原弥五郎。以下同じ。)に対し代金三一、五〇〇円をもつて別紙第一目録記載の土地建物、第二目録物件および第三目録物件湧出温泉の権利(但しこの内一斗三升の分湯使用権)(別紙省略。前記本件物件と略称した物件)を譲渡すること。

一、控訴人は被控訴人に対し昭和一一年一〇月三一日までに右代金を支払うこと。

一、被控訴人は右代金受領と同時に所有権移転登記手続をなすこと。但し被控訴人において前記代金を昭和一一年六月中に提供を受けたる時は控訴人に対し二週間内に前第一項の物件を引渡すこと。尚同年七、八月中に提供を受けたる時は二週間内に引渡すこと。

一、登録税その他の費用は控訴人において負担すること。

一、温泉の権利名義は被控訴人の名義となし、湯出口を中心とする幅七尺長さ九尺の土地は控訴人と被控訴人との共有とし被控訴人の請求次第地役権を設定すること。

との記載があり、成立に争のない甲第一号証(戸籍抄本)によれば、原告は昭和一二年七月四日訴外弥五郎の死亡により長男としてその家督を相続したことが認められる。

三、そこで、原告は右家督相続により本件和解調書による債務名義を訴外亡弥五郎から承継したうえ右和解調書に記載された原告の被告に対する給付義務を履行したと主張し、被告は右債務名義に基づく請求権が約定期限の徒過または消滅時効の完成によりすでに消滅したと主張してこれを抗争するので、前述の見解に従いまず右債務名義に基づく実体上の請求権の存否について判断を進めるに、前述認定の和解条件第一項ないし第三項によれば、本件債務名義の債権者であつた訴外弥五郎が債務者である被告に対し右債務名義に基づいて本件物件につき所有権移転登記手続または引渡を請求するためには債権者において債務者に対し昭和一一年一〇月三一日までに右物件の譲渡代金三一、五〇〇円を支払うことが要件になつており、債務者は右代金の受領と同時に所有権移転登記手続または引渡をなす義務があつたことが明らかである。右によれば、債権者において履行すべきであつた右代金支払債務は確定期限付給付義務であつたと解せられるところ、本訴において債権者訴外亡弥五郎がその生前中右約定期限までに右代金を支払つたことを証するにたりる証拠はなく、かえつて原告が「期限の猶予を得たうえ昭和一四年八月二一日右代金を支払つた」旨主張していることから判断すると債権者訴外亡弥五郎において右期限までに代金を支払わなかつたことは原告の自認するところであるということができる。そうだとすれば、確定期限付給付義務の履行につき明示されていた本件債務名義に基づく請求権は、債権者において約定期限までに右給付義務の履行をしなかつたのであるから、同人において右給付義務の履行につき期限の猶予を得るなどの特別の事情がなかつたかぎり、約定期限の徒過により消滅したものと解するのが相当であり、和解契約当事者の意思にも合致するものというべきである。

四、ところで、原告は期限の猶予を得たうえ昭和一四年八月二一日本件譲渡代金三一、五〇〇円に金三、五〇〇円を加えた金三五、〇〇〇円を被告に支払つたと主張し、被告はこれを争うのでこの点について判断するに、原告の右主張に符合する証人菅原豊井の証言は証人池田一太郎、同五十嵐喜一郎、同五十嵐三郎右エ門、同池田きくみの各証言と対比してたやすく措信することができずまた、原告の右主張に符合するように見受けられる証人吉川喜雄、同菊地恒雄、同斎藤仙太郎、同真田米雄の各証言および原告本人尋問の結果はいずれも原告の母訴外菅原豊井の言辞に基づく伝聞供述にすぎないから、前同様、前顕証人一太郎、同喜一郎、同三郎右エ門、同きくみの各証言と対比してたやすく措信することができないし、成立に争のない甲第三号証(昭和一〇年一二月二七日付覚書)によつてはまだ右主張事実を証するにたりず、他に原告の右主張事実を認めるにたりる証拠はない。かえつて、前顕証人三郎右エ門、同きくみの各証言と弁論の全趣旨によれば、昭和一四年頃において金三五、〇〇〇円という金員は相当の大金であつたところ、金銭の取扱いについて極めて几帳面であつた当審証人三郎右エ門の先々代訴外亡五十嵐三郎右エ門はその頃東京に遊学していた右証人三郎右エ門に金五〇円の学資を送金するについても必ず領収書を得ていたほどであることを認めることができ、右の事実によれば、仮りに右先々代三郎右エ門が原告の依頼を受けて被告に対し金三五、〇〇〇円を支払つたものと仮定した場合右三郎右エ門において被告からその領収証を受取らなかつたということは容易に考えられず、前顕証人豊井の証言によれば、原告において金三五、〇〇〇円の領収証を受取つていないことは明らかであるから、原告においてその主張の代金支払をしたという事実はなかつたものと推認することができる。従つて、期限の猶予を得たうえ金三五、〇〇〇円を支払つたという原告の主張は到底これを採用することができない。

五、以上の次第で、他に原告において期限の猶予を得たとの主張立証はないから、本件債務名義に基づく請求権は債権者訴外亡弥五郎において給付義務を履行せず約定期限を徒過したことによりすでに消滅したものといわなければならない。そうだとすれば、原告において訴外亡弥五郎の家督相続により被告に対する本件債務名義を承継するいわれはなかつたものというべく、更に、右債務名義に基づく請求権の消滅と同時に右債務名義に基づく原告の反対給付義務も消滅したものというべきであるから、たとえ原告において昭和三六年四月二二日に本件和解調書記載にかかる譲渡代金として金三一、五〇〇円を被告のため弁済供託したからといつて、右弁済供託がすでに消滅した本件債務名義における原告の給付義務の履行にならないことはいうまでもないし、昭和三二年四月頃被告の父訴外池田一太郎が原告に対し本件物件中大黒屋旅館の土地建物を明渡す旨約したという原告の主張は前記主張にかかる代金の支払ずみであることを前提とするものであるところ、前述のように代金支払の事実は認められないのであるから結局その前提を欠くことになり、これを採用する限りでない。

六、してみれば、原被告のその余の主張について判断を進めるまでもなく、原告の本訴請求は理由がないから失当としてこれを棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西口権四郎 石垣光雄 加藤一隆)

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